洗脳という罪作りなツール


宇宙をかける少女、最終話まで見たので一応思ったこと書きます。
見ずにいろいろ書いちゃったのがすごく気持ち悪かったりするので、消そうかどうか迷ったんですが一応放置。

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これは狙ってやれるものなの?

いろいろストーリー部分、キャラクターの配置などにおいて欠陥がそれこそ山のように指摘されているのは紛れもない事実で、駄作認定されまくっているのも当然といえば当然。全面的に私も同意見でした残念ながら。


いろいろあるのをあげつらうのに無駄なエネルギーが要る作品なので、一つだけ私がとりわけ気に障ってしょうがない要素をここで書いておこうと思います。


「洗脳」です。


作品内で洗脳されたキャラクターは主に二人、獅子堂高嶺と神楽です。
二人ともネルヴァルに洗脳されて自分の戦力として無理やり活用されていた。高嶺と神楽の洗脳のされ具合にもちょっとばかり違いがあって、高嶺は俗に言う「レイプ目」で、戦闘時以外は終始ボーっとしてました。一度だけナミになにやら歌みたいなのを詠んだ(?)気もしますが。
神楽はというと、率先してネルヴァルの言葉に従い、自分で考え、戦闘もこなし、エニグマナポリタンを覚えていた。目もレイプ目ではなく、ぱっと見、洗脳とは分かりません。


現実世界で洗脳というと、もちろんこんな一瞬で、スマートに洗脳され、変な波動ですっかり元に戻るなんてことはないわけで、現実のイメージに近いものとしてあげられるのは「MONSTER」の子供達がいい例だと思います。
あの洗脳描写はリアルで怖かった。
「宇宙かけ」での洗脳は単に将棋のコマを取って自分の物とする、取替えされたらまた元に戻る、本当に人をコマとしてしか扱わないことで生まれる戦力のやり取り、それ以上のモノではありません。


単純にいうと、このような洗脳の扱い方は、見ている側に「理不尽さ」「意味の断絶」が発生してしまうので、よろしくないことこの上ないんじゃないかという事です。


ガンダムフォウ・ムラサメも言ってみれば洗脳されていたわけですが、それなりに苦しんでいたし、両方の自分の対立により新たなキャラクター性が生まれていました。


高嶺は、何も言わずネルヴァルの背後に立っているだけで、一切思考と言うものをしていないように思えます。じゃあ、トイレどうすんの。はいてないから垂れ流してんの?
神楽は、エニグマを覚えていた。つまり自分がここにいた頃のことを「知っている」わけで、じゃあその頃の自分と今の自分の矛盾点はどこで処理しているのか。
二人とも、影で苦しむ様子もなければ、二つの人格の狭間で悩むそぶりすら見せません。
あげく、ナミの変な波動に当てられて「洗脳が解けます」。


将棋のコマを取り戻したかのように、かつての自分に戻ります。
神楽など、たちの悪いことに口では責任責任言いますが悪びれる気配すらない。操られていたから、と。いや、高嶺は高嶺で出番がなく、洗脳されていたことについて、洗脳されていた間に考えていたことについて、それらしい発言すら殆ど与えられませんでした。


矛盾が壁を突き抜けて、「理不尽さ」マックスですよね。
ちょっとだけオッと思ったのは、ナミがその理不尽さを画面の中でぶちまけていたことですが、ぶちまけただけで、聞く耳持たぬ神楽に伝わってはいない。新たな理不尽が生まれました。


もう一つの、「意味の断絶」というのは、なんとなく思い付いた言い回しではあるんですが、結局の所、洗脳によって「それまでやってきたことの意味がなくなる」ということで、いわば理不尽とそんなに変わらないのですが、ストーリーというよりももっと制作的な視点から見た時に感じられたことです。


なぜ獅子堂高嶺を洗脳することにしたのか。
洗脳された高嶺はびっくりするぐらい出番がなくなります。
派手な衣装をデザインし、人気声優を当て、ハイスペックな性能をあえて持たせた、ついでに言うと登場人物の中で一番胸も大きい高嶺をわざわざレイプ目の人形にしてネルヴァルの傍に置き、出番を殺す。
凝った設定の意味が無くなりました。


なぜ神楽を洗脳することにしたのか。
敵のリーダーであり、精神的支柱であり、重要な情報を握る神楽を、なぜ洗脳されていると視聴者に分からない形で、初期の頃は顔さえ分からない形で敵のボスに設定したのか。
なしてが固執する人物をなぜ「ただ操られていた」という理由だけで敵対させたのか。
普通、ワケありになって当然です。人類に絶望したとか。泣いた赤鬼になるためとか。


凝った人間関係の意味が無くなりました。
そして、結局全体として意味が通らない。意味がないならまだしも、意味が通らない。最悪の結果となりました。


多分全てが思った通りには行かないでしょうし、途中で何らかの設定変更があったとも思えますが、時間をかけて考えた設定などが、洗脳という物を持ち込んだことでぶつ切りにされている、そんな印象を持ちました。



いろんな人が言ってるこの言葉を自分もここでいうと、実にMOTTAINAI

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今後この作品に対してスタッフが発言しているならチェックしていきたいなとは思います。それとは別に、二度とこんな作品を観ていた自分が恥ずかしくなるような思いをしないでよくなるよう、回避運動にも意識を向けることにしようと思います。
さっさと忘れるのが一番だとは思うのですが。