クロフツ 樽

樽 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

樽 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

乱歩の随筆に頻繁に登場する作品のひとつ。
最近刷新されたらしいので、本屋でよく見る。


「足の探偵(地道系)だと」か「重いけどそれがいい」とかそういう言われ方してたので、
最初は手に取ったあと書棚に戻したんだけど、たまたま読むものがなくなったので購入。


結論から言うと、いくつかの理由が複合して十分楽しめませんでした。


まず、一番ページが割かれているアリバイ崩しが焦点になるわけなのですが、話の舞台はパリとロンドンを行ったり来たり。
地名がまったくもって分からなかった。
そりゃ地図で調べりゃわかるんだけど、通勤中の電車の中で読むわけで、そんなことしていられない。
地名も僕には馴染みのないものばかりで、この地名がパリなのかロンドンなのかすら判別ができず。
どうやらこの作品のアリバイ崩しは鮮やからしいんだけど、それを感じ取れませんでした。
いつの間にか解決していた感じ。
これは、遠く日本で読むことまで想定していないというか、まあそれは当然なのだけども。
誰のせいでもありゃしませんね。


次に、あれ……とおもったのは、物語前半で二人の主人公が容疑者検挙のため尽力し、
一人の男を犯人と確信するわけですが、後半から完全に謎解きの役目が別の人間に移されて
この二人が影も形もなくなってしまったこと。もちろん捜査の結果は生きてるんですが。
これはちょっと唖然としました。
普通探偵役が一から始めて犯人はお前だ!となるのが多いと思うのですが、
まず検事側(主人公らしくある程度親近感を読者が覚える存在)が犯人を挙げ、
次に弁護側がその根拠を調査するという構図。
ある意味新鮮で、ある意味実際の世の中はこうなってるだろうなあ、という。
リアル志向……?
こうなると読者は完全な傍観者というか、事件の記録をただ見せられている気にしかならないんじゃないでしょうか。
あとがきなどを読むと、あえて狙ってこうしたようですが、肌に合わなかったです。


いわゆる「本格もの」の推理小説の中には、できるだけ客観的に、装飾なしの事実だけで構成していくのがよいという考え方もあるようです。
乱歩はこれに反対しています。そして、日本人も乱歩と同じように思う人が多かった。
登場人物に個性がないと、さびしく感じるのでしょうね。僕もそんな理由で「樽」は好きになれませんでした。
だから、「怪奇」推理小説をたくさん残した乱歩や横溝正史が好まれたわけです。
でも乱歩自身、本格もの自体はむしろ推奨していたというか、自分自身で優れた本格ものを書きたいとずっと思っていました。
でも、彼が書きたかったのはこういうドライなものではなかったのだと思います。


乱歩がこの「樽」をどう評価していたのかはもう一度読み返さないと思い出せないのですが、
純粋にトリックに感心していたのではないでしょうか。


足の探偵(ひらめきではなく、地道な捜査の積み重ねで真実に近づく探偵)自体は嫌いじゃないです。
証拠に、「樽」は長いとは思いましたが、退屈はしませんでした。