年末に凄い本に出会った。

マルドゥック・スクランブル

後発のマルドゥック・ヴェロシティと共に本屋に平積みされていたハヤカワJA文庫。SFは長いことご無沙汰で、日本人著者となると初めてかもしれない。
本当はこの感想の前にようやく手を出した「スキズマトリックス」の感想も書かなきゃなんだけども、いまいちどう書いていいのか分からない。つまりこれが感想になるのかな。


それはいいとして、この「マルドゥック・スクランブル」ですが。著者はライトノベルが主らしいんだけども、いろいろと小さい子供には不向きな表現が登場するのでラノベからは出せなかったのでしょうか。それとも長いから?


少女娼婦バロットがシェルという賭博師に殺されかけて一人と一匹に命を救われ、それから二人と一匹でこの殺人の裏に潜む陰謀を暴くストーリー。シンプルですね。この本の評判も含め、事前知識まったくなし(2巻〜3巻の壮大なあのシーンのことも知らず)の状態で読んだんですが、最初は1巻ずつ完結のシリーズ物だと思っていました。1巻の最後で唐突にページが途切れてびっくりした。同時に、1巻の最後で対決した敵側の超強力な傭兵ボイルドが最後までライバルとして立ちはだかる話なんだなぁ、と気づき。


1巻では主に二人と一匹の目的がはっきり示される所から、最初の敵である「畜産業者」との対決を描いていますが、正直バロット+ウフコックのペアがあまりに強すぎて(笑)、勝負になっていません。もちろんそのせいでバロットは最大の試練である「濫用」を経験することになるのですが、ちょっと緊張感というものが。あと、ボイルドの強敵具合が引き立ってもいましたね。


個人的にはバロットがお出かけするシーンが好きです。ウフコックに力の濫用をたしなめられた時に「怒らないで」という素直な気持ちを口にできるあどけなさ、化石のポスターを買って事典を作りたいなんていう子供っぽくもささやかな楽しみ、ポピーレッドの口紅や「自分好みの」チョーカーといった小道具が、逐一バロットの少女っぽさを強調しているようでした。地味な萌えどころというか。


少々もっさり気味に話が進んでいた1巻でしたが、そういうディテールを味わえるという意味で結構好きです。そして、映像化したら凄そうな銃での対決シーンの最中に2巻へと続きます。




ボイルドの銃撃から逃げ、ウフコックやドクター、そして最大の敵ボイルドの故郷である「楽園」でのひとときから敵の手がかりを得て、戦場である「犯人・シェル=セプティノス」がオーナーを務めるカジノへ向かうところ。


楽園では、主に少年とイルカ、楽園のリーダーである「フェイスマン」から得られる情報から、ウフコックやボイルドの過去、行動の背景などが一部明らかになりました。
つまりは楽園=研究所に対等なリーダーが3人もいたために、ばらばらに分裂していしまい、そのうちの二つの勢力が対立してしまっていると。それが今のマルドゥック市全体に影を落とす。ただ、バロットにしてみれば自分の命が狙われた理由がその対立のせいなのかどうなのか、といったことは関係ないわけで。シェルという男がなぜ自分を選び、なぜ自分を殺したのか。もちろんその理由の一つとしてこの対立が背景にあるわけですが、単にそれに巻き込まれただけ、ではやはり納得しがたい。シェルという男個人のことを暴かなければ、事件はやっぱり解決しませんよね。シェルがそれを無理やり忘れたことにしているなら、なおさら。


ドクターとウフコックも、自分達のイデオロギーというか、過去いろいろあってこういう事態になったという事も含めて、自分達の有用性を示す(でなければ廃棄処分にされてしまう)という大きな目的を持ちながらもあくまで「バロットがウフコックと共に」自分の手でシェルを負かし、事件を解決し、乗り越えることを望んでいる。
自分を利用しようという意図をバロットに意識されることが、ドクターやウフコックにとっては後ろめたいでしょう。そこを、彼らの性格やら真摯な態度やら「説明責任」を駆使することでバロットの信頼を得ました。逆にバロットは彼らに頼らないとまた殺されるという状況のなかで、自分が彼らを必要とせざるを得ないと同時に、自分を必要としている一人と一匹の仲間になることを同意した。
お互い最初は意図的に、自分の目的のために一緒にいたのがいつの間にか強力なタッグ、仲間へと進化していく過程がこの2巻、特に濫用の後ウフコックと再開したときのバロットの涙に込められています。バロットのためにも事件を解決してやりたい一人と一匹、そして彼らのために自分でも役に立てるならと戦地に赴く少女。そりゃ強いでしょうよ。


彼らは善人です。対して、ボイルドという男は目的のために人を殺すこと、自分が犯罪者となってしまうことを「あえて」いとわない人間として強調されています。理由はこの時点では「虚無」の一言で片付けられてしまっているような気がしますが、それはまあ、あとではっきり意味が分かることで。
善人である彼らはシェルの犯罪の根拠、証拠を得るためにカジノに忍び込んだりはしませんでした。ギャンブルで正当に勝つこと。これが、彼らの選んだ勝利への手段。


ここからが本当に緻密で。緻密なくせに、長い長い長い。
実はカジノで行われるいろんなゲームのルールや用語を知ったのはつい最近で。それにしたって受動的なもので、もともとあまり賭け事に興味もなく(というか軽蔑すらしてます)。この小説での説明が丁寧で助かりました。あと、読むぶんにはあまり嫌悪感もありませんでした。


スロットから始まってポーカー、ルーレット。
ポーカーなんて遊びでやるルールしか知らなかったので、最初は駆けルールの場合にはそういう戦略で楽しむものなんだな、とのんびり読んでました。とはいえこちら側はバロットとウフコック。イカサマ師なんて、SF以外の小説ではありえない方法で見抜かれてしまいます。だって「匂い」だもの。


このカジノ編全体にわたって、SFだからできる、もっというと「バロットとウフコック(あとドクター)だからできる」カジノの攻略を堪能できるのが大きな価値となっているように思います。
イカサマが失敗すると他の人間にロイヤルストレートフラッシュが生まれてしまう、なんていう描写に、一般人には計り知れない世界だなぁ、と感心したり。でも一般人じゃない彼らにはそういう高いレベルでの勝負が可能となり、それゆえ奥の深さも垣間見えると。


ルーレットでは、名スピナー(覚えたて用語)ベル・ウィングとなんだかコスモが見えてしまいそうな戦い、後に互いを認め合う関係に。駆けに興味のない素人目には、36分の1の確率に1点だけ駆けるなんてウフコックでもいない限りは理解できないというか絶対やらないんですが、その辺はそれ、いろいろ奥が深いんでしょうね。数字の並びはバラバラだから、数字の周りに駆けるのも違う気がするし。


今思うと、このルーレットはあまりウフコックの役目はなかったんですね。バロットの感覚を頼りに、それこそベル・ウィングとのタイマン勝負。結果はバロットの勝ちとなりましたが、それにしてもその引き際とか、CV=野沢雅子チックなところとか、とてもすがすがしいシーンでした。手のひらに変なもの移植している場合じゃないよ。同じ小説とは思えないくらい(笑)


2巻で思ったこと。イルカはベタだと思います。ジョニー・ネモニックですね。
昆虫とかだったらもっと斬新だったのでは。



そして最終巻。まさかカジノシーンがこの巻まで続くとは思ってなかった。思ってなかったけど、まさか終盤まで続くとはもっと思ってなかった。びっくりですよ。


えーと、先にひとつだけ言っておくと、この巻の表紙が6冊のマルドゥックシリーズを通して最高。最強。1巻、2巻とグロテスクな人生を表情にかもし出してきていたバロットが、3巻の表紙にして戦士の顔に。かっこいいですよ。後ろのボイルドの表情も半分だけしか見えないけどすげえ。寺田克也というイラストレーターをようやく強烈に認識しました。今まで名前以外はあまり良く知らなかったもので。


この巻は2巻ラストの予告どおり、シンプルなルールなのに奥が深いらしいブラックジャック。これで決着をつけるつもりということで。
有能なディーラーであるマーロウとの対決は、心理戦というより頭脳戦だな、と思いました。感性を判断の基準にして感覚を狂わせるという作戦も、方法としては心理に訴えるわけだけどもそれには事前の入念な調査、分析、作戦があったわけで、とにかくカジノに来る前にドクター達が凄まじいまでのシミュレーションをこなしてきたことが伺えます。


それはそうとこのマーロウという男は、イヤな男(バロット談)で、確かにだんだんボロを出して結局クビになりますが、実はそんなに悪人というわけでもないような気が。見栄はあって当然だし、カジノに忠実だっただけで。これまでカジノに貢献してきていたのは確かだろうに、一回の敗北でクビってのも厳しい世界だなぁ、と思いました。カタギじゃないんですね。
まあ、10点札が連発されてしまったあたりはあ〜あって感じでしたけども。ベル・ウィングなどと比べるとやはり。


で、ようやく目当ての100万ドルチップをようやく1枚ゲットしたバロット。
このシリーズ通してなんですが、いちいち脳内でドルの値を2桁増やして金額を把握する作業が面倒だった。円に直した後も、そもそも出てくる金額が高くて金銭感覚おかしくなりますね。億単位の金が一回の勝負ごとに行ったり来たりしてるってことで。
でも円単位で表記されて、「1億チップ」とか言われると嘘っぽく聞こえるのはどうしたことだろう。


最強のディーラーと交代したあと、バロットもドクターもドロウしか出せなくなります。最初読んだ時、何が起きてるのか分からずにポカーンとしていました。
これは要するに、新品のカードの固定された並びを常軌を逸したシャッフルテクニックで思い通りに並べ替えることができる、ということですね。さらに、その並び順が相手の作戦、意図を様々なパターンにおいて丸ごと飲み込んでしまえる、つまりどうやってもドロウしか導き出せないように並んでいる、と。


人間業じゃないと思うのは私だけでしょうか(笑)
実際にこういうことがありえるんでしょうかね。それともこれはもう神秘的な現象……というか、私はもうそういうものだと諦めてしまいました。
でもバロットは諦めるわけにはいきません。「ここでヒットしなければ負けていた」あるいは「ここでステイしていれば負けていた」という「ほころび」を見つけ出し、それが次第に「勝てていた」に変わり……。


ドクターの物理的・心理的援護もあって、徐々にアシュレイのカード並びを攻略して行く様子が克明に、克明に描かれます。バロットの皮膚が進化して、銀色の粉を吹くところなんかは鳥肌もの。映像で見たい……。中略、としないでほしい読者の気持ちの通り、とにかく何回も何回も試合結果が描写され、そして最後の最後に……。
なんというか、このアシュレイとの決着は筆舌に尽くしがたい感動を覚えました。いいからエンドロールを流せ(笑)
アシュレイが自分のことを少しだけ理解してくれたことと、そんな事情は抜きにアシュレイに、そして自分に勝てたことが生んだ涙。
あそこで大笑い、その後の決着のセリフ(超名言)をはいたアシュレイには敬意を表したい気分です。




もう、シェルがゴミのようにしか見えません。
アシュレイと交代したはいいものの、あえて勝ちをバロットに与えられ、中身の抜き取られたチップを一枚一枚返却されていくシェル。これは紛れもなく敗北ですよね。普通に負けるよりも屈辱的な、徹底的な。
わざと負け続ける事が勝ちとなる。ここまで意図していたとしたら、ドクターの頭はすごいです。頭だけじゃなく、ハートもすごい。
そもそも、シェルはチップの中身が気になっているわけで、それを奪ったそばから返却されるという事態がよく飲み込めないでしょう。それも含めて手玉に取られている。取られまくり。哀れ。


結局。シェルの犯罪の動機となったトラウマと、陰謀の全てが暴かれ。後に判明するその他の事情も含めて、ボイルドとの決着もつき、事件は終焉を迎えます。
ウフコックを心のない表情で(うっそりと)追い求めつつも、ターミネーターのように容赦なくバロットを追い詰めたボイルドは、いまわの際にウフコックを本当の意味で託すことができる相手を見つけることができたのでしょう。続編を読めばわかるとおり、それが意味のある、というかそれだけが彼の心残りだったのでしょうから、よかったなぁ、と。それにしてもボイルドさんはこのマルドゥック・スクランブルという作品の中においてはとにかく本音を語らず、隠しに隠し通しました。
本音というか、本当の願い、ですかね。
それが結局のところ「虚無」である、というのが悲しいことこの上ないわけですが。


ラストシーンもとても美しかったです。ここまで完成された信頼関係の後には、彼女達をメインとした続編がただの続きものになってしまいそうな予感さえしますね。
それでも、読んでみたい。
バロットが敵として登場すると、これまた楽しくなりそうですが。



3冊通しての感想としては、確かにカジノシーンが長大でバランスがよくないかもしれないけど、つまらない物を延々読まされたわけじゃないし、むしろ面白い部分をサービスで通常以上に見せてもらえたという感じです。あと、ボイルドの寡黙っぷりが印象的。この時点でどこまで続編で明らかになる「彼の過去」が想定されていたのかは知りませんが、それゆえあまりしゃべらない所が救いになった気がします。ここで変にボイルドに同情するような要素があると、迷いが生まれて話が長引いたでしょうし。スクランブルを読み終えた時点での後味も多少影響を受けたでしょう。
その分、ヴェロシティの虚しさ、悲しさが際立つわけで。
そういえば、スクランブルってタイトルも卵を意識してるんですね。そう考えるとなんか可愛いんですけどー。


第一部完、ってところで。
スクランブルでこんなカジノシーンを見せ付けられた後で、続編と言っても一体何をすんのやろ、という疑念とともに、つづいては続編「マルドゥック・ヴェロシティ」。

つづくぅ