エラリー・クイーン(バーナビー・ロス)

Yの悲劇/ハヤカワ文庫

Yの悲劇 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

Yの悲劇 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

乱歩の成年向け作品がひと段落して、随筆に移っているのですが、結構おもしろい。
その乱歩が随筆の中で読め読めと僕に勧めてくるので、というか
随筆の中にこの作品のネタバレが含まれている項目があるらしいので、
そこを読むためにも読んでおこうかな、と。傑作らしいし。読んで損はないかと。

実はもう一作同じような動機で「読んでいたかもしれない」本があって、
それはクリスティーの「アクロイド殺し」なんだけども、
とある書評サイトで偶然この本についての言及があって、
非常に腹立たしいことなんだけども、そのサイトではよりにもよって『犯人の正体』
(この作品において特に致命的な部分。読んだ事のある人ならお分かりでしょうが)
をおもいっきりバラされていて、読む気が失せた。

感想からいうと、「こんな終わり方をするミステリー作品があるなんて思ってもみなかった。すごい」
もちろんかなりの人に読まれている作品だから、
ミステリーをよく読む人にはこういうパターンが存在するということは知れ渡っているわけだけど、
とりわけ発表された当時にリアルタイムで読んだ人達は今の時代に読んだ僕よりよっぽど衝撃を受けたと思う。
こんな終わり方って…!というのと、やっぱりあとは犯人の正体について。

いろんなところで言われていることとかぶるけど、やっぱり僕が感心したのは次の点。

  • 主人公で探偵のドルリイ・レーン氏の苦悩

レーン氏が犯人を察してから、その事件全体が大きな悲劇であることに悩んで殻に閉じこもってしまう。
最後の最後に読者にもその意味がわかり、(おそらく大半の読者の)共感を得る。
帰りのタクシーの中で両手に顔をうずめるシーンなんか、後で読み返すと「わかるよレーンさん!」
ああもう。

もう笑うしかないよね。ここまでくると。まじで不思議だったもんなぁ。



逆にちょっと不満だったのは、殺人のあったハッター家の面々があまりにクセがありすぎて、
読んでる間ずっと、その誰が犯人でもつまらないなぁ、と思えてしまった点。
結局こいつらのうちの誰かだろ?と思ってしまうと、どうにも。
逆にこれはどいつもこいつも犯人じゃないな、としか思えなかったという事にもなって、
じゃあだれが犯人なんだよ、となるわけですが。

あと、論理の計算についていけなかった(これは僕の責任か(笑))


とにかく一般的な評価である「名作」との評価に異論はありません。
おもしろかった。